学びの時間

 生井利幸先生から、日々、多くの学びの機会を頂戴しています。それは、生井先生のご著書だけでなく、英語による学術講義、音楽や絵画などの芸術作品、そして時には映画からの学びなど、多岐にわたります。
 特に耳学問では、教科書には載っていない、生井先生独自の哲学や美意識を、直接教授していただきます。先生は、目の前にいる相手に合わせて、身振り手振りを織り交ぜながら、楽しく、時に笑いを添えて、わかりやすく真理への道へと導いてくださいます。
 耳学問を受けたあとは、その先を自ら考えることが大切です。このなぜこのようにおしゃったのか、その理由がすぐにわからなくても、考え続けることで、後日「ああ、このことを伝えたかったのかもしれない」と気づくことがあります。
 このようにして、日々の中に少しずつ学びが積み重なっていきます。ここでは、そうした生井先生からの学びの一部を以下にご紹介いたします。

 何かを身につけるためには、忘れることが必須である。何かを一生懸命勉強しても、人は忘れてしまう。忘れないようにするには、もう一度忘れたところを勉強する。このように、やって、忘れて、忘れた後にもう一度勉強すると忘れにくくなる。

 やるべきことを放置せず、どんどんやっていくこと。実際にやっていくことが大切。毎日限界までやり、明日でもいいと思わないこと。毎日限界と戦い、“自分の目安”、“自分の基準”を自分の理想と近くなるように高めていくと、雑なところも直っていく。やるべきことをやれば、自分自身が鋭敏になっていく。例えば、清掃も、細かく掃除すればするほど気になるところが見えてくる。そのようにして毎日清掃すると、清掃の質が上がる。妥協せず、自分の基準を上げていく。もし、妥協すると「適当でいいか」となっていき、すべてが崩れる。生き方も同じである。自分の基準を上げれば、洗練されていく。そうすれば、雑さも直る。

 普通の生活をしていても、油断すると落ちてしまう。例えば、ゴミ屋敷の人は、最初からゴミ屋敷に住んでいたのではない。何かの理由があってそうなってしまう。普段、食事をしたらお皿を洗い片づけていた人でも、ある日、とても疲れて帰り、食事の後のお皿を片づけるのがとても億劫になり、そのままにしておく。その次の日も疲れて帰り、食事したあとのものをそのままにしておく。それが一週間続くだけでも、かなり汚れたものがたまる。それが1年も経てば立派なゴミ屋敷になる。このように、今日だけと少しでも油断すると、人生はとんでもないことになってしまう。

 自分を向上・発展させるには、実に、長い年月が必要である。その一方、“落ちる”という経験は、気を抜けば、今日のこの一瞬のうちに経験するものだ。

生井利幸先生 公式サイト「今日の言葉」2025年11月11日より引用

 確認する習慣があれば、10年かかるものが3年でできる。能力がある人は、必ず確認をする。能力がないのに、確認もしなければ何も身につかない。確認しない人は、何度も同じことをする。これが、凡人の典型である。人は見落としてしまうから、確認は、2,3回するとよい。もし、着飾った女性がいても、その人の口元に食べかすがついていると、その人が恰好だけの人だとわかる。よく人を注意してみると、その人の確認不足が出ている。

  慣れたとき、二種の人間がいる。一種は、慣れたとたんに注意を怠る人。そして、もう一種は、慣れても初心を忘れず、”初心者”として最大の注意を払い続ける人。

生井利幸先生 公式サイト「今日の言葉」2023年6月25日より引用

 通常、人は「後悔しないようにやってみよう」と行動する。普通ならこうするだろうという枠の中でやってみる。そのようにすると、その枠の中からは出られない。大抵、後悔しないように生きようとすると、後悔することになる。人が、普通ならこうするだろうと判断しないことをやってみると、枠の中から外れることができる。

 本質的に言うならば、後悔しない行いとは、地域的、且つ、固定観念の範囲内で判断し、実行する行いを指す。さらに、この考え方の延長線上で言うならば、腹を決めて“後悔する行い”をすると、後に後悔することはない。

生井利幸先生 公式サイト「今日の言葉」2025年10月31日より引用

 人は見たいものしか見ない。しかし、普段見えているものが見えなくなると、見るべきものが見えてくる。
 一般に「溺れるものは、藁をもつかむ」と言うが、緊急事態が起きなくとも、常にしっかりと周囲の様々なものを見ていなければならない。
 日々の努力の積み重ねは、普段、人が見ていないものを見て、一つひとつ丁寧にやっていくことである。しかしこれが、普通の人にはなかなかできない。小さなものにこそ注意し、よく見ること。誰もが見ないであろうことに、意識を向けるのである。とりわけ細かいところ、些細なことに自分の命で向き合わない限り、人はいつまでも雑なままである。がむしゃらに行うのではなく、見るべきものを見て、聞くべきことを聞く必要がある。

PAGE TOP