学びの時間

 生井利幸先生から、日々、多くの学びの機会を頂戴しています。それは、生井先生のご著書だけでなく、英語による学術講義、音楽や絵画などの芸術作品、そして時には映画からの学びなど、多岐にわたります。
 特に耳学問では、教科書には載っていない、生井先生独自の哲学や美意識を、直接教授していただきます。先生は、目の前にいる相手に合わせて、身振り手振りを織り交ぜながら、楽しく、時に笑いを添えて、わかりやすく真理への道へと導いてくださいます。
 耳学問を受けたあとは、その先を自ら考えることが大切です。このなぜこのようにおしゃったのか、その理由がすぐにわからなくても、考え続けることで、後日「ああ、このことを伝えたかったのかもしれない」と気づくことがあります。
 このようにして、日々の中に少しずつ学びが積み重なっていきます。ここでは、そうした生井先生からの学びの一部を以下にご紹介いたします。

 通常、人は「後悔しないようにやってみよう」と行動する。普通ならこうするだろうという枠の中でやってみる。そのようにすると、その枠の中からは出られない。大抵、後悔しないように生きようとすると、後悔することになる。人が、普通ならこうするだろうと判断しないことをやってみると、枠の中から外れることができる。

 本質的に言うならば、後悔しない行いとは、地域的、且つ、固定観念の範囲内で判断し、実行する行いを指す。さらに、この考え方の延長線上で言うならば、腹を決めて“後悔する行い”をすると、後に後悔することはない。

生井利幸先生 公式サイト「今日の言葉」2025年10月31日より引用

 人は見たいものしか見ない。しかし、普段見えているものが見えなくなると、見るべきものが見えてくる。
 一般に「溺れるものは、藁をもつかむ」と言うが、緊急事態が起きなくとも、常にしっかりと周囲の様々なものを見ていなければならない。
 日々の努力の積み重ねは、普段、人が見ていないものを見て、一つひとつ丁寧にやっていくことである。しかしこれが、普通の人にはなかなかできない。小さなものにこそ注意し、よく見ること。誰もが見ないであろうことに、意識を向けるのである。とりわけ細かいところ、些細なことに自分の命で向き合わない限り、人はいつまでも雑なままである。がむしゃらに行うのではなく、見るべきものを見て、聞くべきことを聞く必要がある。

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